2021/11/6 vol.6 最終回! 幸佑
性別に囚われずに生きることができるようになった快適さ。
ー「今ある苦痛に対してどうするのか」が大切で「手術してどうするのか」という逆算ではなかった。

ーゆるやかなトランスジェンダー

ー理解を押し付けない生き方

ー変化してきたカミングアウトの価値観
 
ー「性同一性障害は治るもの」??

青文字:LIVABALL

黒文字:幸佑

目次

LGBTなどという単語、専門用語を使わずに自己紹介、自分を説明してください!

女性として生まれましたが、物心ついてから中学生までは「自分の体は女性だけど、中性的な感じ」と思いながら過ごしてきました。

高校時代から、身体的な違和感と嫌悪感を感じるようになり次第に生きにくくなってきて『自分らしく生きるには?』みたいなことを考え始めました。

それから、なんやかんや悩んだ挙句に治療や手術を経て男性として生きるようになりました。

まだまだ悩みはありますが、自分の居心地の良いトコロをゆるく追求しながら生きています。

”元女性”と公表しない方が自分も皆も視野が広がるのでは。

ー「性別に囚われずに生きることができるようになった」とのことですが、どういうことか少し教えてもらえませんか?

最近は、自分のジェンダーに関してのアイデンティティについては意識していないんです。

元女性というアイデンティティはなくなってきました。

なんだかそこにフォーカスする自分も嫌だし、フォーカスされるのも嫌だなと思って。

 

そこが(元女性というところ)アイデンティティの核だと思われたくないなと。

 

考え方、視野を狭めてしまいそうに思うんですよね。

ーなぜそう思うのですか?

「女性として生まれて男性として生きるようになりました」と説明するのが基盤になると、説明していない人には嘘をついているのではないか?という意識になってしまって、人に壁を作ってしまうことに気づいたんです。

 

なので敢えて言う必要はないのではないかと思うようになりました。

 

当事者という事実は変わらないけど、当事者内から見える景色と外からの景色は違うと思います。

そうすることで自分の気持ちも楽になったんですね。

ーそう思うようになったきっかけはなんですか?

今は初対面で自分のジェンダーを詮索されたり勘づかれたりすることがないですが、前は元々女性だと勘づかれることもありました。

 

なので以前は自分のアイデンティティを「元女性」と言うことでジェンダーの多様性について知ってもらうといった社会に対して何らかのアクションになるのではと思っていました。

 

ですが、自分で公表しなくてもアクションは起こせると気づいたんです。

 

職場に「車椅子の人がきたから車椅子について考えよう」ではなく「車椅子の人がいなくてもそういう人がもしいたら、という前提で考えて動いていける」方がいいのではないかというように。

 

なので自分がジェンダーに関してマイノリティであることを公表しなくても、つまり性別に囚われなくても、周りに何か影響を与えられるのではないか、と考えるようになりました。

身体への違和感 幼・小・中・高校

ーいつから身体に対しての違和感がありましたか?

・幼稚園

身体的な違和感はありませんでしたが、学芸会でスカートを履く必要があった時などに、スカートが嫌だという意識がありました。当時は学芸会後すぐ着替えられるように、母にズボンを持参してもらっていました。

 

・小学校

思い悩んだりとかは特にありませんでしたが、みんなと違うと言うよりかは自分はちょっと中性的かな?と思っていました。これからも自分はそうなのかな?と漠然とイメージしていました。

 

外見的な性別は特に意識してなくて、女子の水着を着たり、女子と分けられても特に気にならなりませんでした。

ランドセルの色も気にならなかったです。

 

周りに「女子なんだからこうしなさい」と押し付けられることもなかったので意識する機会が少なかったかと思います。

ーえ!身体・性別に違和感がある方々は皆、子供の頃から「水着や制服やトイレにずっと困って生きてきた。」と思っていました!

・中学

中学に入ると、性別を好きになる人の性別で「女性が好きならその人は男」と言うふうに判断していました。

 

なので、自分は男も女も好きになっていたので「自分は中性かな」と思っていました。

 

スカートが嫌というのはありましたが、体への違和感はまだ大きくなかったです。

ー当時はセクシュアリティ(どの性別の人を好きになるか)でジェンダー(性別)を判断していたんですね。

中学で上戸彩が性同一性障害の生徒役をする金八先生があったじゃないですか。

周りに「あれ(上戸彩の役)なんじゃないの?」と聞かれたんですが、自分はドラマの描写ほど体への嫌悪感がなかったんです。

ーありましたね!自傷行為をするシーンが多かったですよね!

はい。でも自分は自傷行為をする程身体への嫌悪感はなかったので、自分は違うかなと思っていた。

でもそのドラマで初めて性同一性障害と言う単語を知りました。

ーではいつから手術をする決断にいたるほど考え(悩み)だしたんですか?

・高校(女子校)

進路や将来について考えた時、自分はどういう大学に入ってこれからどう生きるんだろうかが見えないなと思ったんです。

 

なぜ見えないのかというところで初めて、自分に悩みがあることに気づきました。

 

当時はなぜ見えないのかもわからないし、なぜ悩んでいるのかも分かりませんでした。

 

ジェンダーだけが問題ではなかったと思うが、自分が女性として働いている姿は想像できなかったんです。

悩んでる時って、解決できるような情報などを得たいと思うけど、当時はどうしたんですか?相談できる相手がいましたか?

一つ上の先輩がトランスジェンダーの方で、在学中に手術などをしていました。

 

身近にそういう人がいたことで、「もしかしたら自分は女性として働かなくてもいいのかも?」と、選択肢が広がりました。

 

ただこの先輩にも自傷行為があったので、自分もこの先輩と同じくトランスジェンダーもしくは性同一性障害(厳密には違います。詳細下記)とは思いませんでした。

 

そしてそこから、自分でジェンダーのことを自分で調べるようになったです。

トランスジェンダーとは、「自分の認識する性別が身体的な性別と一致しない/違和感を感じる」人々全体を総称する幅広い表現です。
そのような人々のこと。

ですので、
•下記の性同一性障害と診断される人も、
•「戸籍の性別がしっくりこない。」と感じる人も、
•「全く違う。」と強く感じる人も、
•実は「どちらでもない/どちらでもある/中間。」と感じる人(*)も、
かなり広く含まれます。

(*)「どちらでもない/どちらでもある/中間。」と感じる人は一般的にはトランスジェンダーと区別され、”Xジェンダー”と日本では呼ばれます。しかし大きな大きな傘の意味で考えると、Xジェンダーもトランスジェンダーの中に入るとされています。

 

性同一性障害とは、「自分の認識する性別が身体的な性別と一致しない/違和感を感じる」状態と専門の医師から診断を受ける診断名、医学用語です。
そのような状態のこと。

 

まとめ

性別適合手術をするには、上記の”性同一性障害”という診断書が必要です。

しかし、自分の認識する性別が身体的な性別と一致しない人全員が性別適合手術をするわけではありません。(望まない人もいれば、したくても色々事情があってしない選択を取る人もいます。)

したがって、「性同一性障害」という診断を誰もが受ける訳ではありません。なので「トランスジェンダー=性同一性障害」ではないのです。

「トランスジェンダーという大きな傘の中に、性同一性障害という診断を受けた人がいる。」

ということですね。

”緩やかな”嫌悪感 性同一性障害だ!と確定したことはない

なるほど。その後進路はどうしたんですか?

高校在学中に大学は決まったんですけど、やっぱり女性として通うのは嫌だったので一度やめて、一旦診断書をとってホルモンを始めようと思いました。

そうすることで男性として入学させてもらえるのではないかと考えたんです。

ではその頃(高校3年頃)に「自分は性同一性障害だ!男性として生きよう」と思ったということですか?

男として生きたいよりは、自分の身体が嫌だったんです。

自分の女性の身体は嫌だけど、女性しかいない家庭だし女子校だったので、男社会は分からない。なので男社会で生きたいかと言われれば分からない。

 

身近に男性がおらず自分の中で明確な男性像がなかったので、「男性として生きる」ということは実際になってみないとわからない状態でした。

 

自分が「男性になりたい」「男性だ」と振り切っていたら(明確な男性として生きる将来が思い描けていたら)、周りの環境や身近な人に理解してもらうことなどに関係なく、すぐに自分で診断書を取って手術という考えに至ったと思います。

 

ですがそこがまだ振り切っておらず、でもとにかく自分の体が嫌だというのがあったので、家族や周りの人の理解を得るために診断書が必要でした。

 

実は自分は性同一性障害だ!と確定したこともないし、今も確定したわけではないんです。

 

診断書は取れてるので医学的には確定しているのですが、自分の中のど真ん中というわけではないと思います。

 

「男性だからこうしなければいけない」「男性になったらこうしたい!」という考えもありません。

 

いろいろ調べて、自分と向き合っていくうちに激しい嫌悪感をもっている人もいれば、自分のように緩やかに嫌悪感と向き合って生きていく人もいるなと思います。

 

「トランスジェンダーだからこうしなきゃいけない。」とかもありません。

手術も個人の自由。リスクも自分が負うもの。自分はそこまでガチガチに考えてないんですね。

 

「性同一性障害」というと診断書がどうたら〜、手術がどうたら〜、となるかと思いますが「トランスジェンダー」という枠組はもっと広域なので居心地は良いなと思いますね

「性同一性障害」は治療などを進めるためのツールという位置付けです。

(↑上記”トランスジェンダーと性同一性障害の違い”参照)

カミングアウト 母への手紙での告白

自分の中での「男性像」や”男性として生きるとは?”ということに対していろいろと考える時間が多かったのではと思うのですが、それと同時に周囲へのカミングアウトも必要だったと思います。
特に自分のジェンダーがはっきり定まっていない初期はどのようにカミングアウトしていたんですか?

初めてのカミングアウトは高校2年生の時。

一番伝えやすく理解してもらいやすいだろうと思い「性同一性障害だ」と伝えました。

友達は「あなたはあなただから」とすんなり受け入れてくれました。

興味を示されることもなく拒絶されることもなく今までと変わらず接してくれてほっとしましたね。

 

なぜか分からないんですけど、当時は「早くカミングアウトしなければ!」と思っていたので短期間にいろんな人(友達・学校・家族)にカミングアウトしていました。

ーご家族はどうでしたか?

母親に「性同一性障害だ」と伝える前日に、その旨を手紙に書き朝机の上に置いて学校に行った。

その日は帰宅せず友達の家に泊まる予定だったので2日後に顔を合わせた。

手紙を渡した日の夜にメールがきたが、比較的ポジティブな反応。

対外的にもリベラルだったので母親に理解してもらえたと思っていました。

ー“と思っていた”ということは…?

後から分かったことですが、当時母親は「性同一性障害は治るもの」だと思っていた様です。

 

性同一性障害の人がいるということも母は当時知らなかった。

 

姉がみんな男の子っぽい(スカートを履かずにズボンを履く)感じだったので、小学校の時にズボンを履きたがってもそれには違和感はなかったそうです。

事の真相が把握仕切れていないか、理解できない領域と思ったのか、自分のことを姉に話したそうです。

なるほど!お姉ちゃんたちの影響もあってお母さんは小さい頃の幸佑君に対して違和感がなかったんですね。

お姉さんたちの反応はどうでしたか?

秘密にしていたそうですが、一番上の姉は8つ離れていて女性が好きな女性なんです。自分は姉が同性愛者だということは薄々気づいていましたが、姉から「お母さんから話を聞いたよ。」と報告されたタイミングで、姉自身からの姉の性趣向に関してカミングアウトされました。

二番目、三番目の姉たちからは理解がなかったわけではないが、「母親に負担をかけないように」と一言あったくらい。それ以上干渉してくることもなかったですね。

「性同一性障害は治るもの」という反応

大学の頃に性同一性障害の診断書を取ったと話してましたが、お母さんも一緒に行ったんですか?

はい。当時東北には専門の病院がなかったため、近くのメンタルクリニックに初診は一人で行きました。診断書は出せないがガイドラインなどの知識はあるようで、先生に親を連れてくるように言われ、母親と通院しました。

一緒にいった時はどうでしたか?

先生から手術へのステップなどを説明されたのですが、

母親からすると「治るのでは?」「思いこみなんでしょ」という思いがあったのでしょうか。

納得のいかない様子で先生に「性同一性障害って決まったわけではないんだから」というような反論がありました。

この病院では母親自身の納得のいく回答が得られなかったのと、自身も診断書が必要だったので大学病院の紹介状をもらいました。

「思い込みかも」「治るかも」というのはとても多い反応の一つだと思います。僕(小川弦之介)の親も当時似たようなリアクションでした。「自分の子どもに限ってまさか」という思いが親としてあるのかなと思います。

病院についても、今は十数年前に比べて診断書を出せる病院も増えてきましたが、やっぱり地方にいるとまず診断書をもらうのに時間とお金がかかりますよね。

先ほどお母さんに手紙でカミングアウトしていた時には理解してもらえていたと思っていたというお話でしたが、この時に初めて自分と母親との間で大きなズレが生じていることを知ったわけですよね?すごく衝撃が大きかったのでは?

そうですねショックを受けました。

この時より以前も後も基本的には母とは良好な関係なのですが、ジェンダーの話になるときは誰かを交えて話したりしていた。


診断書をもらうまでの間に「名前を変えたり、体を変えるのは自分が死んでからにしてほしい」と言われたりもしました。

診断書もきっともらえないだろうと思っていたかもしれないですね。

制服などを男性に寄せることは特に気にしていないようでしたが、いざ医学的な変化の話になると会話を拒まれたのでそれ以来話をすることはやめました。

理解を得てから手術をしようと思っていましたが、このような会話もあり、理解を得ようと求めるのは母親にとって苦しいことなのではないかと考えが変わりました。話し合うこと自体が辛いのであれば話す必要はないのかな、と。

母親も「自分のせいで」と思っていたのではないでしょうか。

なるほど。お母さんに寄り添う考えにも言葉では表現し難いのですが個人的に(小川弦之介)とても共感できます。

お母さんの同意を得て治療を受けようと考えていたと思いますが、その後は?

それ以降は自分のペースで手術をしていきました。

ホルモンを始めても髭がめちゃくちゃ生えるとかめちゃくちゃ男性らしい外見にはならなかったので、母も特に身体の変化に触れることはしません。今も昔と同じように変わらず付き合いを続けています。

母は理解しきれているのかと聞かれれば、多分理解や納得はしきれていないと思います。

あなたにとってのカミングアウトとは

最初のうちは「カミングアウト」の目的や重要性はみんな一緒なのでは?と思います。

「とにかく誰かに相談したい」「自分が生きやすくなるため」とか。いろんな人にカミングアウトしていくに連れて当事者の中でもカミングアウトの重要性や意味合いに変化が起きてくると思っているのですが、あなたにとって「カミングアウト」とはなんですか?

カミングアウトする時期や相手にとって意味合いは変わってくると思います。

 

一番はじめの頃でも友達にするのと、先生、親にするのとでは全然気持ちや意味合いが違いました。

 

「自分がこういう待遇でありたい」という意思や、友達に「もっと仲良くなりたい」と思って、その為に戦略的にカミングアウトする(しない)選択をすることもあると思います。

 

自分が確立されてきてからは、緊張や「理解されないのでは」という不安は減ってきました。

なので改めて「自分の元々の性別は」と話すことはもうないかもしれません。

友達相手にカジュアルに話す機会はあるかもしれませんが、昔のように改めて仕切り直してカミングアウトすることはないだろうなと思います。

 

「自分がこう思われたい」「自分らしく生きるため」のカミングアウトの機会はもうありませんが、

「誰かの利益・助けになれば」という観点でカミングアウトすることはあると思います。

幸佑さんから皆さんへのメッセージ

これから先のことは分からないけど、今は生きていけると感じています。

26歳くらいで自分の性別に対して考える必要がなくなり、性別に囚われずに生きることができるようになったことはとても重要かなと思います。


10年後こうなりたいから今こうしなければいけないではなく、今の正解を探して生きたいと思っています。

 

周りからどう思われたいとかも特になくて、ジェンダーについてもどう扱われても気になりません。

水泳教室の子どもから「男なの?女なの?」と聞かれるますがそれも「どっちでもいいよ〜」と答えています。

 

自分にも人にも理解を押し付けないのが、良いかなと思います。

 

おわりに

今までの話を振り返ってみると、 本当にたくさんの時間をかけて、幸佑さんの中で大きな変化があったんだなと思いました。

 

当初描いていた自分の体との向き合い方やカミングアウト、診断書をとる意味など。一番は自分自身に対しての変化がとても大きくあったとことで、生き方そのものも変化した。もっと言えば「より自分らしく生きられるようになったのでは」と感じました。

 

幸佑さんのお話を聞いて、私たちの中でも「トランスジェンダーは・・・(こういうもの)」というような、無意識に決めつけていたことがあったのかもしれないと気づきました。

幸佑さんの言うように“緩やかなトランスジェンダー”の人もいる、こんな考え方もある、自分にも周りにも理解を押し付けない生き方もある。今回の幸佑さんの言葉に心がすっと楽になった方がたくさんいらっしゃったのではないでしょうか?

 

「自分ってなんだろう?」というこのウェビナーシリーズの最終回にふさわしく、「自分らしく生きるには?」の答えを「自分にも人にも理解をおしつけない」という幸佑さん言葉の中にもらった気がします。

 

幸佑さん、本当にありがとうございました!

そして2021年6月から始まっったこちらのウェビナーシリーズをいつも楽しみにしてくださっていた皆さま、ありがとうございました!

これにてひとまず「自分ってなんだろう?」シリーズは終了となりますが、これから新たなウェビナーや企画が盛り沢山です!

 

どうぞこれからもLIVABALLをよろしくお願いいたします!!

 

LIVABALL代表:武島アイカ & リバボーラー一同より

視聴者さまご感想

みんな、ちがう。

だから、いい!